ブログにお立ち寄りくださいまして、
本当にありがとうございます。
たくさんの涙の粒と共に、
意識の変化が起きました。
1つの後押しなのですが、
その後、特段気負いもなく
または自分の光の中にいると、
なんでもない日常に「愛」を
感じていきます。
自然の中に、
自分の中に、
ちょっとしたギフトのようで、
ひとっこひとり誰もいなくて、
静かにその幻想的な美しさを
眺めていました。
人のそれなんだろうなあって思いながら。
「こんばんは。
こんなに変化が起きる
と言う事がはじめて分か
体験出来たことが私の中で
凄く大きかったです。
良くないと分かっていても、
体験のおかげで、
まだまだこれからですが、
打ちながら涙が出ています(笑)」
いつも自分には正直にいる、
と書いていますが、それを
突き詰めていくと、
本質の自分でいるということであり、
自分の内側の光の中に自分がいる、
それは静かだけれど、
自分の中心にすーっと縦のライン、
筒のような流れができている感覚で
感じられる事もあります。
私がどんな人を見る時にも、
同じです。
本質の自分でいれば誰もが
本来そういう存在だとわかります。
そうすると本当に人が光を
放射していることが感じられ、
自分の内側からも慈愛の意識が
芽生えてきます。
セッションをしていると、
時々顕在意識レベルではすぐに
気づけなくても、
人は太古から持つ記憶に触れ、
自分の美しい光に触れ、
自分の神聖さの琴線に触れ、
涙が止まらなくなることも
よくあります。
「どうして泣いているんでしょう?」
「ああ、その言葉が染み入ります」
「私と言う存在を愛しています」
さまざまなそれに対する表現を伴いながら。
T様は、まさにそんな感じでした。
レムリアの時代に共にしていたような
懐かしさと、
もちろん人間的なフレームに
留まっている部分もありながら、
ソースのフレームの記憶に
長い時間触れていたように感じます。
もうそのタイミングに
来て見えたと思います。
とても内側の美しさが、
表情から皮膚から溢れていました。
人はそういう体験を繰り返していきながら、
自分の光の中に鎮座して、
生きられるようになっていくのだと思います。
それは心配のない、
喜びに満ちた日々となります。
T様、ディバインセッションのご感想を
ありがとうございました。